| 1998年1月中旬、私は、メイベリックスでの記念すべき日におぼれかけました。私の経験から言えることは、もし死んでいたら、あまりに寂しく、悲しく、恐ろしい死に方だっただろうということです。最悪だったことは、私の典型的なミスが事態を招いたということです。いったん停止して波の大きさをあまり確認することなく沖へ出て、最初にやってきた波の一群の最初の波をキャッチしました。こういったミスのために、2つの波に飲み込まれ、岩の間を一気に運ばれてしまいました。もし死んでいたら、とても武勇伝にはなっていなかったでしょう。このストーリーが、ビッグウェーブでサーフィンをする際に私達が学ぶ基本的ルールの重要性を、他の人も思い出すきっかけになればいいと思います。つまり、沖へ出る前にコンディションを知って、絶対に最初の波に向かっていかないということです。
その日まで、私はメイベリックスで素敵な冬を過ごしていたのです。その場所で特にひどい失敗をすることなく、6回サーフィンをしていました。間違いなくそのことが、運命の1月13日に至るまで、私の誤った過信を支えていたのです。その後、永遠に私のサーフィンのやり方を変えることになった日です。私は兄弟のザックとマイク・ブラメットと早く現地へ到着しました。私達は、一番乗りになるために、暗いうちから沖へ出る習慣になっていました。当時は、ジェットスキーなどや綿密な天候データはまだなく、私達は現地がどのような状況であるかについて、まったく自分自身で考えなければなりませんでした。写真家のヴァーン・フィッシャーが準備しているところで、彼は「いいか、君たち、僕が崖の上に行くまで無茶はするなよ」というようなことを言いました。その時は、彼の発言をとてもおかしいと思っていました。
ブラメット、ザック、そして私は、かなり簡単に沖へ出られました。岩場の角を回った時、強い波が体をさらい、海面のくぼみに沿って普段の波間を超える勢いで南から北へと一掃されました。波は大きくまっすぐ西へ向かっていました。これは、メイベリックスが最も危険となる状況です。西側の大波が波間に猛進して、もし失敗すれば岩場にたたきつけられる状況でした。ザックと私は、様子を掴むために2、3の中規模の波に乗りましたが、2人とも少々不格好に後退しました。その後、別の波がやって来て、今度は真剣に向かうことを決めました。
最初の波が近づいた時、うまく乗れると思いました。波は、岸に向けて、都合良く段階的に先細りするような長い壁を作っていました。私はうまく波に乗れていると思っていました。谷間を避けて、岸の方へ向かって3分の2ほどたどり着けたと思っていました。ブラメットは私の内側にいて、次の波に向かっていくという動きを見せたので、私も自分が本気で行こうとしていることを彼に伝えるため、本当に一生懸命にパドリングを始めました。私が横切るとマイクは、「行け、行け!」と叫びました。
後でこの波をビデオで見たとき、あまりの大きさと、実際にはあまりにも無理な波であることに衝撃を受けました。私は岸へたどり着けたと思いましたが、私の真上に波間がシフトしていたのです。立ち上がった瞬間、向かい風が私の体をさらい、波の頂上に沿って体が跳ね上がりました。うずくまった私の体が奪われた瞬間、私は落下し始めました。波から急速に落ちながら、私は波がどんどん大きくなっていくと感じたことをはっきりと覚えています。この波はあまりに大きすぎて、自分のいる場所からはうまく乗れないと気づき、完全に波に飲み込まれるか、圧倒されるか、くぼみが頭上に降りてくるだろうと分かったので、サーフボードから降りて、波と波の間の近くを通ことができるよう、ただひたすら祈りました。波の底辺を飛び越すことなく海の底へたどり着くことができたので、波の裏側から飛び出すことができるのではないかと考え始めました。けれども海面まで5フィートほどのところで、くぼみに埋まった状態で空に向かって自分が投げ出されるのを感じました。非常事態です。
透明で円筒状になった、メイベリックスの怪物の滝のような水流を上がるという、衝撃目前の体験をしながら、時の経つのがスローダウンしたように思いました。それから私は、頂上から波と波の間へのフリーフォールに掴まり、そこからついに、海底の一番下まで運ばれました。とても深く、暗く、静かな場所でした。耳で感じた水圧から、これまでの経験で最も深い場所に自分がいると分かりましたが、これはまだ、今から実際に始まる体への衝撃の序章に過ぎなかったのです。
自分が感じていたのが、体外遊離の経験だと言うのは少々古くさく聞こえるかもしれませんが、自分の身に起こっている出来事に対して、崖の上から眺めている見物人の視点から、スローモーションで、白黒の映像で自分を見ていました。強打された瞬間に、今起こっていることへの現実的な恐怖にはっと目覚め、想像できる最悪の状況を耐え抜くべく試みました。何度かパニックと安堵、パニックと安堵という状況の繰り返しを経験しましたが、それは永遠に続くかのように思われました。
アニメで、登場人物がトラックにはねられ、自分の人生が映画のシーンのように目の前にフラッシュバックする場面を誰でも見たことがあるでしょう。私が経験したことも、似たようなものです。地上へ真っ逆さまに落ちる飛行機に乗り合わせた人たちの恐ろしい経験以外に、似たような経験はないでしょう。「これで終わりだ。自分は死ぬんだ」という、圧倒されるような衝撃なのです。一瞬のうちに、私の全人生は、肉体的および精神的な衝撃として総括されました。唯一考えられたことは、何と悲しいことだろうということでした。せっかく両親に育ててもらって、こんなふうに死んでしまうなんて?
荒れた波が静まった時、私は海面に向けて泳ぎ始め、あと10フィートかというところで、次の波が私を巻き込むのを感じました。後でザックとブラメットから聞きましたが、2番目の波は、メイベリックスの大型のダンパーで、波のくぼみからはるか外側で砕けたそうです。2番目の波がとどまり、私がサーフィンをしていた場所で崩れていたら、あるいは、私があと少しでも早く海面に出ていたら、間違いなく2つ目のスピンに引き込まれていたでしょう。すでにその時点で私は肺の酸素を使い果たしていました。けれども、波はすでに散っており、私を巻き込むのがせいぜいだったので、2つ目と3つ目の波の間に一瞬、海面に出て、3つ目の波を生き抜くだけの空気を肺に吸い込むチャンスが得られました。この小さな呼吸がすべてでした。私に先へ進む勇気をくれたのです。私は、岩場に向かって進み続けました。
私はとにかく速いスピードでその場をしのぎ、海上に鼻を出す形で背中で浮かび、ついに穏やかな水面へと押し出されました。南の方からマルコ・フォアマンが、私のボードを持って泳いでくるのが見えました。この時点で初めて、途中どこかで綱を壊してしまったことに気づきました。彼にボードを渡され、僕はその上に、濡れて疲れ切った犬のようにもたれました。彼は、私が大丈夫かどうか尋ねました。私は大丈夫だと答えましたが、彼の反応からは、相当具合が悪そうに見えているのだと分かりました。このことが、彼のセッションにやる気を起こさせたたかどうかは分かりません。
私は少なくとも10分ほどボードの上に座ってから、岸へ向かって移動しました。ビーチへたどり着くと、本能的に体を横たえ休みました。私は胎児のような体勢でうずくまりました。あまりに深いところへ、急速に押しやられた水圧のため、私の鼻からは鼻血がポタポタと落ちていました。動くことはできませんでしたが、あまり気にしませんでした。友人が、私の様子を見にやって来ました。彼は、今日が何日であるかを聞くなど、簡単な応急処置を行いました。彼や彼のガールフレンドに、私が大丈夫だと納得させるのにしばらく時間がかかりました。
3日経っても、私はまだ咳をする時に血の跡を吐き出していました。私は、大きな波で激しく転倒した結果、血を吐き出すという、似たようなトラブルがあった人を、少なくとも4人知っています。明らかに、海底深く運ばれたことによる気圧の急速な変化で、急速に肺がスポンジのようになるのです。
私は、この出来事による重大な肉体的損傷に苦しむことはありませんでしたが、精神的には一生続く影響を受けました。メイベリックスで上手にサーフィンできるために必要な自信を取り戻すまでに、何年もかかりました。そして最終的に私は、もっと波を選ぶような、計算するサーファーになりました。私は、もしかすると乗れたかもしれない数多くの波をやり過ごしたり、撤退してきました。理由は単純で、この経験がトラウマになっているからです。私は生きていたいから、もっと可能性の高い波を待つのです。
ある意味、私は今回の出来事を天の恵みだと考えています。なぜなら、人生がいかにはかないものであるかを教えられ、自分が人生の途中で比較的容易に死にかける経験をしたからです。沖へ出る前にとにかくコンディションを確認して、絶対に最初の波から乗ろうとしないようにしてください。
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